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下之郷史跡公園(下之郷遺跡)へ行ってきた!(守山市)2200年前に栄えたムラの巨大遺跡

2016年11月26日に出かけてきました。

(基本データ)
名称:下之郷史跡公園(しものごうしせきこうえん)

住所:滋賀県守山市下之郷1丁目12-8
TEL:077-514-2511
開館時間:9時~17時
休館日:火曜日、祝祭日の翌日、12月29日~1月3日
入館料:無料
駐車場:無料
アクセス

NPO法人 守山弥生遺跡研究会のHP

弥生時代の謎を探りに行こう!

下之郷遺跡は、今から約2200年前の弥生時代中期の遺跡です。
入館料は無料で、駐車場も無料です。

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こちらは下之郷史跡公園の環濠保存施設です。

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建物外側のショーウィンドウには、「ここが!2200年前!弥生のくにの一中心地だった!」と書かれています。

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館内には、次のような説明がありました。

米づくりが本格化した弥生時代中期には、琵琶湖岸から離れた場所にもムラがつくられます。
弥生時代中期の終わり頃、紀元前2世紀代に下之郷遺跡に環濠集落が現れ、100年間くらい営まれたと考えられています。集落の規模は東西約330m、南北260m、面積約7haで東京ドームの1.5倍ほどの広さがあります。

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当時の環濠集落の想像図がこちらです。

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現在の住宅地図と重ねると、いかに大きな集落であったかが想像できますね。

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環濠を作った目的は?

下之郷史跡公園では、実際に復元された環濠を見ることもできます。
こちらは第3環濠。

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こちらは第4環濠です。

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環濠は幅5~8m、深さ2mくらいで、少なくとも3重の環濠が集落全体を囲み、場所によっては9重の環濠となっていることから、当時は9重以上の濠で集落全体が囲われていたのかもしれません。

環濠の底には、下のような「しがらみ杭」や、環濠に沿って建てられた「柵列」なども発見されています。

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環濠の目的としては、
・戦乱などによる外敵の侵入を防ぐ
・居住域と外界を区分する
・水田に水を導くための灌漑用水路
・生活用排水の役目
として利用されたという説がありますが、はっきりとしていません。

ただ、武器や武具なども発掘されていることから、集落を襲撃から守る必要性に迫られていたことは確かなようです。その意味では、少なくとも環濠は外的の侵入を防ぐ役割を担っていたと言えます。

また、下之郷遺跡の環濠は一度埋められた後に再度掘り直されていることが分かっていますが、この理由についてははっきりしていません。

環濠集落の驚くべき住居

さらに興味深いのは、この集落内の住居は当時一般的だった竪穴式(たてあなしき)ではなく、壁で屋根を支える壁立式(かべたちしき)だという点で、そのルーツは朝鮮半島にあったと考えられています。

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また、温帯ジャポニカ(水稲)と熱帯ジャポニカ(水をほとんど必要としない稲)とがほぼ半々で見つかっているそうです。水稲ではない稲がこれほど多いというのは驚きですね。
左の背の高い稲が熱帯ジャポニカです。乾燥した土地でも育つ稲です。

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米以外にも、このようなものが食されていました。

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このようなクルミやドングリは、保存性に長けており、必要に応じて粉状にされた後、調理されたと思われます。

銅剣も出土!誰が何のために?

この時代、石器が進化するとともに、鉄を使った工具や武器も登場し、環濠の下からも銅剣が見つかっています。

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ただし、鉄製のものは当時はまだまだ貴重なもので、鉄製農具が普及するのは紀元後のようです。

当時の人々の暮らしは?

環濠集落では多くの土器も見つかっています。

こちらは壺。大きな壺は、貯蔵目的で使われたと考えられています。

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小さな壺に関しては調理目的にも使われたと考えられています。

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その他、かめや高坏(たかつき)なども見つかっています。
高坏は食物を盛り付けるための供膳具です。

また、衣服については貫頭衣(かんとうい)でした。

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とてもうまく考えられた服ですね。

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なぜ環濠集落は消えたのか?

この下之郷の環濠集落は、ある時から忽然と姿を消します。
全国的に見ても、弥生時代後期に入ると環濠集落は急速に減っていきます。

弥生時代に入り、稲作の普及により貧富の差が広がりました。
その富を守るための防御設備として環濠が発達したと考えれば、弥生時代後期には土地をめぐる争いが減っていったと考えられます。

治安が改善し、環濠がなくても財産を守れるようになったとも言い換えれるかもしれません。

その一方で弥生後期に入り、下之郷からそれほど離れていないところに伊勢遺跡が誕生しています。

下之郷の環濠集落がなぜ姿を消したのか、なぜその後、伊勢遺跡のような巨大集落が再び誕生したのか、謎に包まれています。


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